今日は、午後から果樹畑に行き、帰りに実家に寄ってきましたが、写真は一番最後に貼付します。
さて、果樹畑の入口には、あじさいが植えられています。
最近、あじさいの写真を貼付しており、我が家のあじさいと種類が違うようなので、今回はこれを貼り付けてみました。
畑では、柑橘や柿などの実が日ごとに大きくなっています。
しかし、害虫も多く、特に電気虫がほとんどの柿の木に食い付いており、最も有効な、人力によるぺしゃんこ駆除を実施しました。
写真はありません。
また、ブルーベリーの実が色付いていました。
最後に実家のヤマモモです。
ちょうどいい色に色付いていました。
ということで写真です。
(畑のあじさい)

(畑のブルーベリー)

(実家のヤマモモ)

実家に寄って、我が家へ帰る途中、実家にカメラを忘れていたことに気付き、引き返しましたので、今回は自分を戒めるために写真を最後にしました。
健忘症の予防です。
今日も雨です。
このところ、週末に限って雨です。
果樹に携わることができません。
また、雨が続くと、親父の被害妄想病が再発するおそれがあります。
そこで、今日は妻と一緒に親父の様子を見るため、実家へ行ってきました。
親父の被害妄想病は、再発していないようで、家にこもることなく、梅やビワが収穫されていました。
収穫された梅は、そのほとんどは梅干しのために甕の中で塩漬けされており、残りは梅酒にされていました。
写真は撮っていません。
この雨の中では、果樹に係る写真が撮れないので、仕方なく、少し色づいたヤマモモを貼付することにしました。
(実家のヤマモモ)

それでも物足りないので、ツバメの巣をおまけとして貼付します。
(実家のツバメの巣)

6羽のヒナがいるそうです。
結局、ブログとしてのオチも果樹の収穫もありません。
追記 たった今、午前零時を5分過ぎてしまった(6月5日午前零時5分)。
※ この記事は、6月4日分のブログとしてください。
お粗末でした。
父の日ということで、妻と一緒に実家へ行きました。
その前に果樹畑や元田んぼに向かい、それぞれの水桶の中に小さな金魚を数匹ずつ入れました。

水桶は、温室や小屋の雨どいから雨水を蓄えていますが、ボウフラがわくので、これを食べさせるために金魚を入れたのです。
また、畑ではイチジクを、元田んぼでは、すももが色付いていたので、これを収穫しました。

ガラリ以外のすももは、桃と同じように雨や虫に弱く、収穫時期を少しでも逃すと食べられなくなってしまうので、長年の経験から少々青くても収穫すべきです。
さて、その後、実家に着いたところ、料理嫌いのおふくろにしては珍しく、なんとヤマモモジュースを作っていました。

たぶん、二十数年ぶりのヤマモモジュース作りだと思います。
もちろん、実家のヤマモモの大半は、収穫されないまま朽ち落ちているので、ジュースにされたのは、ほんの一部です。
おふくろの行動からして、明日から、また雨が降りそうな予感がします。
今日のすももの収穫は、正解だったと思います。
おまけ
父の日なのに、親父が登場しなかったので、追記します。
親父に対するプレゼントは、妻は日本酒、私は前述の金魚でした。
果樹とは関係ありませんが・・・
明日は、父の日なので一日早いものの、今日は、妻と一緒に私の実家に行きました。
もちろん、その後、田畑に向かうつもりでした。
ところで、頑固親父へのプレゼントは、毎回悩んでしまいます。
着るものは、変な好みがあるし、日用品だと使わないし、何をやっても喜ばせられないのです。
特に、今は被害妄想の絶頂期で、家に閉じこもっていることもあって、へんちくりんに磨きがかかっており、何を渡していいのか非常に悩みました。
考えた挙句、日本酒2本をプレゼントすることにしました。
ちなみに、妻の親父も難しく、明日、ビールをプレゼントすることになっています。
実家に到着すると、ヤマモモの実が最盛期を迎えていました。
たぶん、私たちが育てている果樹の中では、幹の太さが一番大きいと思います。
ヤマモモの木全体を撮影しようと思いましたが、この大きさに加え、家屋が邪魔をしているので、全体を撮影することはできませんでした。


家の中に入ると、さっそく、親父に日本酒をプレゼントしましたが、特に喜んでいるようでもなく、逆に、訳のわからんことを言い続け、私を実家にとどめてしまいました。
結局、私は田畑に行くことができず、今日はヤマモモを撮影するだけになってしまいました。
頑固親父のせいで、田畑に向かうことはできませんでしたが、明日は父の日なので、これも良しとしましょう。
業務連絡
「おい、私のかわいい子供たち、明日は父の日だぞ!」聞こえてるか?

実家のヤマモモの木です。
以前は、ヤマモモ酒や塩漬けにしていましたが、誰も消費しないため、ここ数年は放置されて、実が落ちて土に帰るだけです。
世の中に物が溢れ、飽食になったことは、我が家も例外ではありません。
そうはいっても、落下した実がゴミのように集められると哀れでなりません。

合掌。